金水 敏・田窪 行則 (1990). の「談話管理理論からみたみた日本語の指示詞」を読みました。以前の記事にも書きましたが、この論文は随分前から読まなくちゃと思いながら、なかなか読めていなかったものでした。やっとのことで昨年の年末に読み始めたのですが、分かったようで分からない状態が続き、何度も読み直していました。ようやく自分の考えがまとまりつつあるので感想をまとめようと思います。

(結論から申し上げて、ホントにホントに読んでよかった論文でした。おかげでこれから取り組んで行きたいテーマが見つかった気がします。お書きになったお二人とこの論文を読むきっかけを頂いた近藤先生の論文(近藤, 2022)に感謝です。)

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目次

読んだ文献

金水 敏・田窪 行則 (1990). 「談話管理理論からみたみた日本語の指示詞」. 認知科学会 (編).『認知科学の発展3:メンタル・スペース特集』. 85-115.
認知科学の発展 | 認知科学関連書籍 | 日本認知科学会

概要

 This paper examines the Japanese demonstrative expressions in the framework of the Discourse Management The-ory. The discourse management theory is proposed in Ta-kubo (1989 a) as an integrated model of dialogic discourse. The system presented in this paper also incorporates a version of the Mental Space Theory specialized for dialogue.
 The main findings of the paper are the following:

  1.  The Japanese proximal demonstrative ‘ko’ and the distal demonstrative ‘a’ indicate that the expressions with these demonstratives refer to elements either in the deictic location or in the experiential space; they refer to elements which are already incoporated in the speaker’s knowledge base at the moment of an utter-ance.
  2.  The neutral (i. e. non-proximal, non-distal) demonstrative ‘so’ indicates that the expressions involving ‘so’ refer to elements in the hearer’s domain in the deictic location, elements newly introduced in the discourse by the hearer or elements in the hypothetical space; they refer to elements not yet incorporated in the speaker’s knowlege base.
  3.  This distinction, i.e. whether or not an element is already incorporated in the speaker’s knowledge base, must be marked as such all through the discourse. It follows from this that in Japanese overt discourse anaphoric pronoun system cannot exist in full, because all nominal elements must be marked for this distiction and cannot be proximity neutral.

 本論文では、日本語の指示表現について、談話管理理論の枠組みで考察を行う。談話管理理論は、対話的な談話を説明する統合モデルとして田窪(1989 a)で提唱されたものである。また、本論文で紹介するシステムは、メンタルスペース理論を対話に特化させて組み込んだものである。
 本稿で示す主な主要な発見は以下の通りである。

  1.  日本語の近位指示詞「こ」と遠位指示詞「あ」は、これらの指示詞を用いた表現が、現場スペースや経験スペースにある要素を参照していることを示している。つまり話者は、発話の瞬間に話し手の知識のデータベースに既に組み込まれている要素を参照しているのである。
  2.  中立的(非近位、非遠位)な指示詞「そ」は、「そ」を含む表現が、直示的な現場スペースにおける聞き手の領域の要素や聞き手によって新たに談話に導入された要素、仮説スペースの要素を指す。つまり、まだ話し手の知識データベースに組み込まれていない要素を指すことを示す。
  3.  この区別、つまりある要素がすでに話し手の知識ベースに組み込まれているかどうかは、談話の中でいつもそのようにマークされなければならない。このことから、すべての名詞要素がこの区別のためにマークされなければならず、近接中立ではありえないので、日本語の明白な談話において、前方照応的な代名詞システムは完全には存在しえないことになる。

注:英文は筆者自身による抄録ですが、和文は投稿者による翻訳です。

特に面白かった点

 特に面白いと感じたのは以下の2点です。

  • 対立型と融合型による指示詞の記述
  • 要素と記述による説明

対立型と融合型によるダイクシスの記述

論文では「(コ)・ソ」の類いを対立型の指示、「コ・ア」の類いを融合型の指示として説明しています。つまり、前者は(話し手側や)聞き手側の要素を指し示すので話者が交替すると指示詞も変わるのですが(コがソに、ソがコに)、後者は話し手も聞き手もそれぞれが共通経験の中の要素を参照しているから話者が交替しても指示詞は変わらないというものです(コはコ、アはアのまま)。

今まで、コ・ソ・アといえば、コが話し手に近いもの、ソが聞き手のに近いもの、アが話し手からも聞き手からも遠いものを表わすというくらいにしか理解していなかったので、今回のようなすっきりとした説明は目から鱗でした。(そもそも、文脈指示のコ・ソ・アについてほとんど考えたことがなかった訳ですが…)

この説明の特に強力な所はア系統の指示をコ・ソの融合を仮定することなく説明できるところだと思います。ア系統の指示によって示される領域(ア領域)は、コとソが融合してコ領域となり、それに対立する領域としてア領域があるという風に説明されることもあります。しかし、この論文の立場に立てばコ・ソの融合を仮定する必要はなく、ア系統の指示は単には話し手と聞き手とがそれぞれに共通の経験を参照しているものだと説明できるわけです。

因みに、この長所を以て談話管理理論のような名詞要素の指示に対する考え方を取らないと説明できないような事象(ア領域が登場するが、コ領域とソ領域とは融合していないと考えられるもの)があると思っていまして、今度その一例として敬語について発表しようと思っています。

要素と記述による説明

論文では(というかメンタルスペース理論においては)、談話中(発話中)に様々な名詞的要素が導入され、会話の参加者はそれらを随時マークするとしています。このとき、メンタルスペースに在るのはある言語形式によって導入された何らかの要素であって、その言語形式そのものではありません。このように考えることによって、あるスペースの要素を指し示すときにはこのような記述を用いて、別のあるスペースの要素には今度はこのような記述を用いるというような説明が可能になる訳です。考えてみればその通りで、そういう研究をなさってる方のなかでは当たり前の知識なのかもしれませんが、これもなるほどぉと唸った部分でした。

ただ、メンタルスペースにおける要素と記述やそれに付随する規則などは詳しく述べられておらず、下の疑問点でも書きますが、それ故にメンタルスペース理論に対する談話管理理論の立ち位置みたいなものを図りかねているので、次はメンタルスペース理論そのものを読まないといけないなと思っています。

追記:先生に相談したら(フォコニエ. 1996)の『メンタル・スペース』を読むのもいいけど、その後の研究も含めて全部を理解しようとすると大変だから、とりあえず概論的なものを読んだらいいんじゃないかなとアドバイスをいただきました。ということで取りあえず(坂原, 1989)の「メンタル・スペース理論概説」を読んでみようと思います。

疑問点

 今回、疑問を持ったのはこの3点です。

  • 融合型のコはメンタルスペースの中でどう記述するのか
  • 対立型のソはメンタルスペースの中でどう記述するのか
  • 写像関数の振る舞いの違いはどう説明するか

融合型のコはメンタルスペースの中でどう記述するのか

今回、指示詞(とそれによって示される要素)をメンタルスペースの中でどのように記述するのかは、ア系統の指示については詳しく書かれているのですが、コ・ソ系統はそれほど詳しく書かれていません。そこでどういう風に記述すればいいのかなと疑問に思いました。とりあえず、対立型のコは話し手のスペース内の要素を指し示すとは思うのですが、融合型はどうすればいんでしょう。

論文内の融合型探索の記述は「コで話し手の近くにある要素を指し示せ」というものなので、直接どこのスペースにあるから何を使うというものではないんですが、実はもっと直接的に書けるんじゃないかなぁと思っています。

対立型のソはメンタルスペースの中でどう記述するのか

前節に書いた事情で、対立型のソのメンタルスペースの中での位置もどのように書くのだろうか気になったのですが、こちらは単に聞き手のスペース内の要素を指し示すと書けば上手くいきそうです。

語用論的関数の振る舞いの違いはどう説明するのか

論文では、結びの場面で融合型と対立型とを一般的な観点から考えるものとして、語用論的関数Fで別のスペースにある二つの要素a, bがあるときに、その記述が変わるものを対立型、同じ記述を用いるものを融合型として捉えています。ですが、このように関数が振る舞いを返る根拠は必ずしもないのではないかと思います。むしろ、このようにまとめなくても融合型と対立型を説明することはできるんだろうと思います。

対立型の指示は話し手と聞き手とのどちらか一方にあり、他方のスペースに写像されていない要素を指し示すもの(コは話し手のスペースにあるもの、ソは聞き手スペースにあるもの)で、融合型の指示は話し手と聞き手とに語用論的関数によって結合されている要素をそれぞれに指し示すものだと説明するだけで十分なのではないかと思うわけです。

対立型の指示がコからソに、ソからコに変わっているのは要素が移動していることによるものではなく、単に話者が交替して視点が変わったことによるものだと説明できそうです。

参考文献

記事中の参考文献

近藤泰弘. (2022). 「敬語から見た日本語の種類:ダイクシスからの考察」. 近藤泰弘, 澤田淳 (編), 『敬語の文法と語用論』(pp. 2-16). 開拓社.

坂原茂. (1989). 「メンタル・スペース概論概説」. 仁田義雄, 益岡隆志(共編.), 『日本語のモダリティ』(pp. 235-246). くろしお出版.

フォコニエ・ジル. (1996). 『新版メンタル・スペース:自然言語理解の認知インターフェース 』(坂原茂ら, 共訳.). 白水社. (原書の出版は1994年).

読んだ文献中の参考文献(スタイルまま)

影山太郎 1987 「語彙の比較とプロトタイプ」『日本語学』第6巻第10号(4-12)

Kamio, Akio 1979 ‘On the Notion Speaker’s Territory of Information : a functional analysis of certain sentence-final forms in Japanese’ Bedell, G. et al. (eds.), Explotation in Linguistics : Papers in Honor of Kazuko Inoue, Kenkyusha.

神尾昭雄 1985 「談話における視点」『日本語学』第4巻第12号

Kamio, Akio 1986 Proximal and Distal Information : a Theory of Territory of Information in English and Japanese, dissertation, Univ. of Tsukuba.

Kitagawa, Chisato 1979 ‘A Note on Sono ad Ano’ Bedell, G. et al. (eds.), Explotation in Linguistics : Papers in Honor of Kazuko Inoue pp.232-243, Kenkyusha.

木村英樹 1983 「『こんな』と『この』の文脈照応について」『日本語学』第2巻第11号

金水敏 1988 「日本語における心的空間との名詞句の指示について」『女子大文学(国文編)』第三十九号

金水敏 1989 a 「代名詞と人称」『講座 日本語と日本語教育 第4巻 日本語の文法・文体(上)』明治書院

金水敏 1989 b 「指示詞と人称」昭和63年度科学研究費特定研究(1)研究報告書(未公刊)

金水敏・田窪行則・木村英樹 1989 『日本語文法セルフ・マスター・シリーズ 4 指示詞』くろしお出版

久野暲 1973 『日本文法研究』pp.185~190 大修館書店

黒田成幸 1979 「(コ)・ソ・アについて」『林栄一教授還暦記念論文集・英語と日本語と』くろしお出版

阪倉篤義 1974 『改稿日本文法の話』pp.151~161 信光社

坂原茂 1989 「メンタルスペース概説」『日本語のモダリティー』くろしお出版

坂田雪子 1971 「指示詞・『コ・ソ・ア』の機能について」『東京外国語大学論集』21

佐久間鼎 1951 『現代日本語の表現と語法(改訂版)』pp.2~43 (1983, くろしお出版より復刊)

柴田武 1980 「ことばにおける構造とは何か」『言語の構造』(『講座言語』第1巻) 大修館書店

正保勇 1981 「『コソア』の体系」『日本語の指示詞』日本語教育指導参考書 8, 国立国語研究所

高橋太郎・鈴木美都代 1982 「コ・ソ・アの指示領域」『国立国語研究所報告書71 研究報告集3』pp.1~44

田窪行則 1989 a 「名詞句のモダリティー」『日本語のモダリティー』くろしお出版

田窪行則 1989 b 「文脈理解ー文脈のための言語理論」『情報処理』(情報処理学会)Vol. 30 No. 10

田窪行則 1990 「対話における聞き手領域の役割について」『認知科学の発展第3巻』(日本認知科学会)講談社(本書)

田中望 1981 「『コソア』にめぐる諸問題」『日本語の指示詞』日本語教育指導参考書 8, 国立国語研究所

服部四郎 1968 「コレ・ソレ・アレとthis, that」『英語基礎語彙の研究』 三省堂

林徹 1989 「トルコ語のすすめ 3ー『これ・それ・あれ』 あれこれ」『言語』 Vpl. 18 No. 1

Fauconnier, Gilles 1984 Espaces mentaux, Paris : Minuit (英語版 1985 Mental Spaces, MIT Press 日本語版『メンタル・スペース』坂原・水光・田窪・三藤 訳, 白水社)

堀口和吉 1976 「指示語『コ・ソ・ア』考」『論集日本文学日本語 5 現代』角川書店

堀口和吉 1978 「指示語表現性」『日本語・日本文化』 8 大阪外国語大学

三上章 1955 『現代語法序説』刀江書店 (1973, くろしお出版より復刊)

三上章 1970 「コソアド抄」『文法小論集』pp. 145~154 くろしお出版

宮田幸一 1961 「日本語と英語の指示詞」『英語青年』第107巻第11号

山口佳紀 1977 「体言」『岩波講座 日本語6 文法Ⅰ』岩波書店

Yoshimoto, Kei 1986 ‘On Demonstratives KO / SO / A in Japanese’ 『言語研究』第90号

渡辺実 1952 「指示の言葉」『女子大文学』第5号 大阪女子大学国文学科

Levinson, S.C. 1983 Pragmatics, Cambridge.

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