先日、ヨーロッパ語圏の方に日本語を教える機会があり、初級教材のローマ字表記という観点から母音の無声化について考えることがあったので共有します。長くなってしまったので、先に結論を書くと、「母音の無声化の厳密な条件を無理に教えるのは現実的ではないし、その必要は無い。けれど、教師はその知識を活用してローマ字表記などに活かしていこう。」というものです。

 ※単なるブログ(つぶやき)として書き始めたものなので、論理関係や章立てには不十分な点があります。やる気があれば今後、しっかりまとめます…

目次

いきさつ

 その日は、ヨーロッパ語圏の方2人に日本語を教えていました。お二人とも日本語初級者で、いくつかのフレーズは知っているものの仮名はまだ分からないというレベルです。そのため、配布したプリントにはローマ字を併記しました。(というか、ネットで公開されているローマ字が併記されたプリントを1枚利用したので、それに合わせて自作教材にもローマ字を併記したという形です。)

 まず初めに、教室で使う言葉・フレーズを紹介し、音読練習を始めたところで事件は起きました。(大げさ)

「Please say that again.は『もう一度お願いします。』です。どうぞ」
私がそう言うと、学習者さんはプリントの表記”Mooichido onegai-shimasu.”を見ながら
「Okay, you don’t pronounce the last “u”, right. Can you say that again pleas? (なるほど、最後の”u”は発音しないんですね。ちょっともう一度言ってもらっていいですか。)」
と言ってこられたんです。そして、私がもう一度読むと…
「Oh…Okay, you don’t pronounce the “i” as well.(はぁ、”i”も発音しないんですね)」
ここで私は、「しまった、無声化のことたいして考えてなかった。」と気がつきました。

母音の無声化

 日本語教育能力検定試験の教材などで必ず出てくる母音の無声化。ごく簡単に示すと下のような現象のことです。

 日本語において/i//u/は、1)その音が2つの無声子音に挟まれているとき、2)その音が無声子音に続き、かつ文末(あるいは語末)にあるとき、無声化しやすい 。

 1)は例えば、「つき/tsuki/」のような場合です。/u/が[ts][k]という二つの無声子音に挟まれています。そのため無声化を起こすと実際の発音は[tsu̥ki]のようになります。2)は例えば「~です。/desu/」のような場合です。/u/が[s]という無声子音の後に続き、しかも文末にあります。こちらは無声化を起こすと[desu̥]のように発音されます。

 日本語母語話者にとっては、当たり前すぎて、無声化しているという感覚を持つのが難しいのですが、口を閉じてこれらの単語・フレーズを発音すると無声化していることがよく分かります。例えば「田中です/tanaka desu/ [tanaka desu̥]」を口を閉じて発音すると「ンンン、ンッ」のようになると思います。本来母音の数*は5つの筈なのに、「ン」の数(喉が震えた回数)は4つですね。最後の/u/が無声化しているということです。

*母音や有声子音を含むモーラと言った方がより正確かもしれません。

母音の無声化は教えるべきか

 話を戻します。上で書いたとおり、母音の無声化は日本語教師の本には必ず出てくるくらい、日本語教師のなかでは常識(?)なので、私も以前に勉強していて知っていたのですが、それを実際に教室でどのように活かすのかというと話は単純ではありません。

無声化には地域差・個人差がある

 まず、母音の無声化には地域差や個人差があります。これについては様々な研究があり、実際、日本語教育能力検定にも「近畿方言では、文末の「です」の「す」が無声化しにくい」という問題が過去に出題されたそうです(はま. 2021.9.7.)。発音練習の見本となるのは多くの場合、現場の教師ですから、教師としては、自分の内省に照らして指導したいところです。しかし、このような揺れのある現象については自身の内省に頼って良いのか迷ってしまいます。

無声化の条件はとっても複雑

 また、実際には母音の無声化には上で説明した条件以外にも様々な条件が関係しています。たとえば、上で説明した条件「1)その音が2つの無声子音に挟まれているとき」については、その無声子音の種類によってによって無声化の起こりやすさは異なるという研究があります。無声子音の中でも破裂音>摩擦音>破擦音が後続する場合には、この順で無声化が起こりやすくなります(邊. 2007.)。このように、母音の無声化という現象は厳密にはとても複雑な現象なので、その理論的な説明を授業に組み込むことは現実的ではありません。

母音の無声化は「美しい日本語」?

 母音の無声化というものを調べると、「美しい日本語の発音を構成する要素」とか、「美しく日本語を話す為には『無声化』が必要不可欠」というような記述を見ることがあります。(ここで引用してもいいんですが、その表記を批判しているように映ってしまうので引用しません、興味のあるかたは「母音の無声化 美しい」などで検索してみてください。)

 このような記述(思想)は、個人のレベルや個別の集団のレベルでは問題ないと思います。何を美しいと思うのかは自由ですし、同じ美的感覚を持つ人が集まることもまた自由です。しかし、それを他人や他の集団にも強制することはいけないと思います。

 ”美しい”日本語(の発音)という概念は、どうしても”美しくない”日本語、つまり”醜い”日本語とか”汚い”日本語という概念の存在を示唆します。母音の無声化をした日本語は美しいとするのなら、無声化してない日本語は美しくないものとされ、ひいてはそのような言葉使いをする個人についてもネガティブな評価が与えられてしまう可能性があるわけです。

 しかし、このような発音の違いの多くは、弁別機能を持たないただのバリエーションの一つであって、それができないからといってコミュニケーションに著しい支障をきたすわけではありません。「月/tsuki/」を/tsuki/と読んでも/tsu̥ki/と読んでも、どちらかの形式を知っている人なら、その発音が「月」を意味することはすぐに分かるでしょう。

 このような問題は言語差別の問題であって、またの機会に詳しく纏めたいと思っていますが、とにかく、このような価値観を少なくとも教育の現場には持ち込むべきではないだろうと思います。

母音の無声化は無理に教えなくていい

 以上のようなことから、私は今まで「母音の無声化は無理に教える必要はない」と考えてきました。しかし、それを盾に母音の無声化の授業での扱いについて考えることを避けてきたことはあると思います。

これから

 そんなわけで、今回のことで改めて母音の無声化について考えまして、今後は以下のようにしようと考えました。

  1. 厳密な無声化の条件を教える必要はない。まずは無声化の現象と単純な規則を紹介するのに留めておく。
  2. 無声化は強制せず、コミュニケーションに大きな支障が出るわけではないことを説明する。
  3. ローマ字表記は内省と学んだ知識を使って工夫する。

 具体的には、こんな感じです↓

・学習者さんの母語(ここでは英語)による説明(1.2.) 
The [i][u] is likely to be voiceless, i.e. [i̥][u̥], in the following cases. 1. when they are sandwiched between voiceless sounds, like つき(moon) [tsu̥ki] 2. when they are after a voiceless sound and at the end of a sentence (sometimes at the end of a word), like …です(am/is/are) [desu̥] However, there are regional and individual differences in such voicelessness. So even if you pronounce voiced vowels, your Japanese will be understood well enough.

・無声化の可能性を示すローマ字表記(3.)
わかりますか[wakarimasu̥ka] ([u̥]は読んでも読まなくてもよい)

 まだまだ、たくさん問題はあると思いますが、これが私なりのとりあえずの答えです。

知識は活かそう

 考えてみると、母音の無声化のような揺れは言語を教えるという性質上、避けては通れないものです。私たちが話している言葉、地域差・世代差・個人差など、そまざまなバリエーションがあり、その総体を日本語と読んでいるのですから*、適正判断や内省に揺れや迷いがあって当然です。

 そのため、日本語教師の仕事は”正しい”日本語を教えることではなく、自分の持っている言語リソースを提供することだろうと思います。つまり、自分の内省にも、学んで得た知識にも同一の地位を与えて、それらを学習者さんに伝えるべきだろうと思うわけです。

 だからこそ上でかいた2.のように一つの形式をバリエーションの一つであると認めて強制せず、一方で3.のように学習者さんの様々な言語背景に合わせて適切な配慮ができるように、教師自身は勉強を続けることが重要なのだろうと思います。

*日本語に様々なバリエーションがあると言う方がいいかも…

参考文献(簡単に…)

はま. (2022.9.7).【無声化の法則】東京は無声化、関西は有声化 | 日本語教師のはま. 参照:https://www.hamasensei.com/museika/#toc8

邊姫京. (2007.). 狭母音の無声化の全国的地域差と世代差. 『日本語の研究』, 3(1). 参照:https://doi.org/10.20666/nihongonokenkyu.3.1_33