今回はOn the Japanese Nigori of Compositionという論文を翻訳して紹介します。
On the Japanese Nigori of Compositionは、ベンジャミン・スミス・ライマン(Benjamin Smith Lyman)が1883年にアメリカ東洋学会誌(Journal of the American Oriental Society)に寄せた会議論文(proceeding paper)です。
当著作は、著作者の死亡から70年が経過し、アメリカの著作権保護期間を満了しています。
目次
日本語の複合語の濁りについて
ベンジャミン・スミス・ライマン(マサチューセッツ州ノーサンプトン市)
日本語の音韻変化で最も多いのは、複合語の二つ目の構成要素の頭に起こる「濁り」つまり、その頭文字が清音から濁音に変わるものであるとライマン氏は言った。「濁り」とは”turbid”のことであって1、日本人は濁音を単にそれに対応する子音が変化したものだと考えている。彼らはまた日本語の全ての濁音は子音に由来するとさえ考えているが、この見解を一定程度裏付ける状況がある。「濁り」の音韻変化は、単に音便上の問題で、任意に変化させたり、させなかったりできるものではなく、意味にも関係があり、その変化は強制のものである。
その規則は、二つ目の構成要素が「濁り」を起こす、つまりその頭文字のch, f, h, k, s, sh, tがそれに対応する濁音に変化するというものである。しかし、この規則は次のような場合には適用されない。1. b, d, g, j, p, zが複合語の二つ目の構成要素のどこかに既に存在する場合。2. 複合語の二つ目の構成要素が漢語である場合。3. その言葉(ヘボンは複合語としている)が、実際には単語が通常の文法構造に従って、省略なく、構成されているものである場合。例えば、動詞の活用形が並んでいる場合、漢語の後に行うことや動作を表わす動詞の活用形(「し」、「する」など)が続く場合、複数の単語が「の」によって接続されている場合、単語の後に「と」や「て」など動詞の活用語尾として用いられる音節が続く場合。また、4. その他に1002件の「濁り」が起こらない場合があり、2200件以上(およそ3件に1件)の「濁り」が起こる場合がある。ヘボンの辞書にある全ての単語と、その他数百の単語、合計およそ23,000の単語について検討し、これらの規則と例外をもとに考察した全ての単語のリストが論文とともに発表された。
「濁り」を伴う複合語と伴わないものの全リストを注意深く調べると、一つ目の構成要素が、原因、要因、所有や優越を表わす場合や、二つ目の構成要素の意味を含有、包含している、つまり、下位のものとして支配している場合には、音韻変化が起きないことが分かるだろう。これらは、英語において”of”の前にある単語が、後にある単語との比較で持っている性質である。しかし、これらの性質をむしろ複合語の二つ目の構成要素が持つ場合に(複合語の一つ目の構成要素が従属的、部分的、偶発的な性質を持つ場合に)、「濁り」が起きるのである。
「濁り」が有声子音の消失によって生じることは明らかである。このような有声子音は、ほとんどがnであり、多くの場合「の」(”of”という意味)、ときには「に」(”in”や”to”という意味)や否定の「ん」に表る。また時には、「で」(”at”や”with”という意味)のような他の有声音や音節もあり得る。このことによって、何故、日本語ではよく歯音の「濁り」の前にnの音が聞こえたり、唇音の「濁り」の前にmの音が聞こえたりするのか、また更に頻繁に起こることとしては、何故、単純なgの音がngの音のように聞こえたりするのかということがよく理解できる。このような音の意義は、音訳の際に特別なマークをつけることの強力な論拠になるということである。例えば、古くからある欧米の様式では”Nagasaki”の代わりに”Nangasaki”と書く。
「濁り」の規則は多くの日本語の語源や意味をたどる上で大いに役立つ。例えば「濁り」そのものは、「にる」(”resembling”という意味)と「くろ」(”black”という意味)から来ていると考えられ、「ひだり」は「ひ-の-で-あり」(”the direction of sunrise”という意味)、「みぎ」は「み-の-きり」(”the direction of the cutting sight”という意味)から来ていると考えられる。これらの方向を表わす言葉が、日本の気候にあわせた家屋で、一般に好まれてきた南の方角から来ているということは大変興味深い。
ライマン氏は、学者たちが翻訳や通訳に余りに多くの時間を割いて過度に軽視されている、この種の文法的な研究の一般的な面白さと重要性を指摘して発表を終えた。
注1:”turbid”は「濁り」という意味の英語。原書では日本語の「濁り」が”nigori”として表わされているが、この文はその導入である。本稿では”nigori”は全て「濁り」に置き換えている。
原文
Lyman, B. S. (1883). On the Japanese Nigori of Composition. Journal of the American Oriental Society, 11, cxlii–cxliii. https://doi.org/10.2307/592210
読書・サイト紹介
JSTOR. (n.d.). Journal of the American Oriental Society on JSTOR. Retrieved February 24, 2022, from https://www.jstor.org/journal/jameroriesoci
アメリカ東洋学会誌を読むことができるJSTORのページ。
Lyman, B. S. (1894). The change from surd to sonant in Japanese compounds. In Oriental Club of Philadelphia (Ed.), Oriental studies; a selection of the papers read before the Oriental club of Philadelphia 1888-1894 (pp. 160–176). Ginn & company.
当会議論文の原著論文(full paper)。国立国会図書館に所蔵があり複写を取り寄せることができます。